SAD発症から4年経過した今、販売の仕事に再就職をしています

私がパニック障害、社会不安障害(SAD)と診断されたのは、
丁度今から4年前の6月のことでした。

当時私は22歳、パソコン関係の仕事をしていました。

ある日仕事中に過呼吸のような症状、動悸、凄まじい焦燥感に襲われ、
思わず職場から飛び出してトイレにこもり
落ち着くのを待つしかありませんでした。

その後も過呼吸のような症状はなくなったものの、
突然襲ってくる動悸、叫びだしたくなるような焦燥感を何度も味わい、
たまらず内科の診察を受けました。心臓の病気かと思ったのです。

すぐに不整脈の検査やレントゲン撮影など
幾つかの検査を受けることになりました。

ところが検査結果を見た先生に言われた言葉は…
「うちではお薬は出せるけどあなたの症状を改善することは出来ない、
心療内科を受診してはどうか?」でした。

すぐに近くの心療内科の予約をとり、
カウンセリングや簡単な問診を受けた後、
社会不安障害とパニック障害であると診断されました。
仕事のストレスが原因だろう、とも言われました。

正直、目の前が真っ暗になるほどのショックを受けました。
精神病?通院が必要なのか?仕事はどうなるのか?
不安でいっぱいな気持ちでした。

担当の先生とも相談し、
SSRI抗不安剤を2種類飲み続けることになりました。

お薬を飲むと不安感や動悸は治まるものの、外に出るのも怖い、
安心出来る誰かがそばにいてくれないと不安…

毎日薬と薬を飲むための水をカバンに常備し、
いつ発作が起こるかと緊張する毎日でした。

だんだん外に出るのが怖くなり、
結局仕事を自主退職することになりました。

貯金も少なく、このまま病気が治らなかったら…
という気持ちで毎日が本当に憂鬱でした。

家族の支えがなければ自ら命を絶っていたかもしれません。
それくらい毎日が辛かったのです。

投薬を始めてから1月程度は何も変化はなく、
このまま病院に通っていて意味はあるのか?とも考えました。

投薬とカウンセリングを始めて半年ほど経過したころから、
だんだんと外での動悸、息苦しさが少なくなってきたような気がします。

1年半ほど治療を進めた結果、抗不安薬の服用はかなり減り、
薬を飲まなくても外出が出来るようになりました、本当にうれしかったです。

SAD発症から4年経過した今、私は現在販売の仕事に再就職をしています。
朝9時から18時まで人と接してばかりの毎日です。

今は全く発作は起こりません、先生と相談した結果、
もう薬は飲んでいません。通院もしていません。

お守り代わりに一応いつもカバンに抗不安薬は入っていますが(笑)

外に出るのも怖い、人と接するのが怖い、
そんな風に思っていたあの頃の自分が嘘のようです。

社会不安障害パニック障害は本当に難しい病気で、
なった事のある人にしかこの辛さは分からないと思います。

ですが、諦めずに治療を続けることによって
絶対に改善する日が来ると思います。

この文章を読んでくれたあなたが
笑顔で過ごせる日が来るように祈っています。

レジで支払いをする際お金を出す時に手が震え、一番怖いのはおつりをもらう時です

私は統合失調症などと平行して発症している社会不安障害です。
40代後半、家族は50代の夫と中学生の子供が一人の三人家族です。

社会不安障害が発症するまでは、
学校のPTA役員としても活動していましたが、
人前で発言したりする機会が増えるごとに、
違和感を覚えるようになりました。

自分の発言や意見が、趣旨にそっていなくて、
人から変な人だと後ろ指を指されているような気がしたり、
女社会にありがちな、噂のまとになっているのではないかと思うと、
積極的に発言ができなくなってしまいました。

書類などに署名をする際、人前だと手が震えてしまって書けないとか、
ドリンクバーで飲み物を入れて運ぶときに、手の震えの余り、
こぼしてしまいそうになる事も多く、
ママ友達と外食する事もできなくなってしまいました。

また、お買い物に行ったときに、
レジで支払いをする際、お金を出すときも手が震えるし、
一番恐いのは、おつりを受け取る時で、震えが最高潮に達してしまって、
相手の手をはじき飛ばしてしまいそうになるのです。

当然お金は周辺にばらまかれる事でしょう。

それを想像するだけで、肩に緊張が走り、手の震えが止まらなくなります。
家に引きこもっている間は、そういった症状が出ません。

出るのは決まって、人前に居るときだけです。

なので、余程の用事がなければ、外出する事はなくなりました。
専業主婦だから許されている事だと思うと、家族に申し訳ないです。

人前に出られなくなって5年くらいになります。
この病気が治らない限り、外で仕事に就くことも出来ないと思います。

結婚してから息苦しくなったり赤面することはなくなりました

小さな頃から人見知りでした。
家では良く話すし、笑うのに、外に行くととっても静か
「すごくおとなしいのね」大人はそう言ってくれました。

ほっとしたのを覚えています。
でも学校に入学すると、そうもいかない。

本を読まされるのも嫌。
日直で前に文字を書いていても誰かに見られている気がする。

前に出てする発表なんて、もってのほか。

前に出て、言葉を発するまでの時間がものすごく息苦しい感じです。
小さな頃は赤面もよくしました。

でも赤くなったことがばれるのも嫌という感じです。

それなりに成績が良かったので、
リーダーに指名されることが多かったのですが全力で拒否しました。

部長に任命された時は、泣きました。泣いて逃げました。
それで部長からは解放されました。

大人になっても、スピーチは大嫌いでした。

派遣社員で働いていた私は、正社員になるよう部長に
勧誘されて、とてもなりたかったのですが、
「月に何回かある、課での自由発表が嫌」なので断りました。

自分でも不思議なのですが、嫌で嫌で、
想像しただけで息苦しくなるのです。

今までにもそういうことは何度もあって、
気持ちじゃなくて本当に息苦しいし、夜は悪夢も見ました。

随分たってから、SADという病気を知り、
もしかしたらSADなんじゃないのと言われて、
きっと私はそうだな、と、思いました。

でも、診断は受けませんでした。

病院が無い国なら、病気と判断されないはず
病気だと診断されたから治るものでもないし。

今は、なぜか、息苦しくなったり赤面することはなくなりました。
いつからかと言われたら、結婚してからだと思います。

自分に自信ができたら
見られてもなんとも思わないし、多少失敗してもなんとも思わなくなりました。

他人にどう思われたって、
家族は「大丈夫そのままでいいよ」って言ってくれるからです。

まわりの深い愛に救われてといいますか
愛情の中にいるから、病気も病気と思っていないのかもしれません。

人によるかもしれませんが、わたしは
「病気だ」と言われたら傷つくので受診しませんでした。

なんでも白黒つけないで、うやむやにして、大丈夫な範囲で、騙し騙し
自分を肯定するのも、ひとつの解決法だと思います。

幼稚園のママ友生活での不安障害

子供を出産するギリギリまで働いていました。
しかし出産と同時に夫が転勤となり、やむなく退社することになりました。

誰も知り合いがいない場所で、1から子育てをすることになりました。
かなり不安もあり辛かったです。

しかし幸いなことに良い隣人にも恵まれ、なんとか過ごすことができました。
しかし夫は転勤族、子供が幼稚園に入る年にまた転勤となりました。

次は地方へ行きました。
ここでのママ友生活がかなり辛かったです。

社宅に入ったのですが、夫がそれなりの立場にあった私達は一番新しく、
広い社宅でした。

しかし幼稚園のママ友たちは、皆古い社宅でした。

それでもママ友を作らなくてはと必死だった私は、
なんとかその古い社宅の人達と仲良くしようとしました。

それが却ってよくなかったのでしょう。
上手く行きませんでした。

その上、夫は夫で育児にはまったくノータッチで、
私の愚痴など聞いてもくれませんでした。

ママ友社会と家庭という社会で孤独になり、
いわゆる不安障害の症状が出るようになり、社宅へ帰れなくなりました。

私の場合、幸いだったのは、まだ両親ともに健在で実家、
義実家ともに頼ることができた点です。

どうしても社宅へ帰ることができなくなった私は、
下の子を連れて実家へ帰ることにしました。

しかし上の子は幼稚園だったので、連れていく訳にいきませんでした。
なので、義母に来てもらい、長女の面倒と家事一切をお願いしました。

私と下の子の世話は、実母が見てくれました。
おかげでかなり良くなりました。

主婦にとって、
家族の支えが一番大切だと思いました。

社会不安障害を回復できたのは、周囲の人の理解と過保護ではない優しさでした

大学生の頃、少人数のゼミなどに参加し、
皆の前で自分の研究を発表しなくてはいけないという状況を知った際、
失敗したらどうしよう、皆に笑われたらどうしようと考えるようになりました。

そこから日にちが経つにつれ、ゼミの不安感というよりは、
漠然とした不安感や恐怖感でいっぱいになり、
外に出ることさえも怖くて仕方なくなりました。

その後、藁にもすがる思いで心療内科を受診しました。
社交不安障害」と病名が付いた時、とても救われました。

私は病気だったのだ、私の性格の問題ではなかったのだ、
薬を飲んで治療をすれば普通の生活に戻れるのだと。

両親、友人に話すのが怖くて仕方なかったのですが、
学校に行けていないため、伝えるしかありませんでした。

両親、友人ともに大事にはせず、
受け入れてくれた事は本当に感謝しています。

基本的に外に出るのが不安で仕方なかったのですが、
「緑のいっぱいある所」「水のある所」には行くことができました。
(例えば、緑が生い茂っている公園、温泉)

きっと、気持ちが落ち着くのだと思います。
両親も友人も公園や温泉に付き合ってくれました。

また、人前でご飯を食べることも恐怖になっていたのですが、
「じゃあ食べなきゃいいよ、私はお腹が空いたから食べるけど」と
私を気にせず食事をしてくれていました。

周囲の人の「行きたいところに行けばいい、食べたくないなら食べなくていい」
という丁度いい放置が本当に助かりました。

私は「大丈夫?それは大変!なんとかしなきゃ」というように、
皆から気を使われるのが嫌だったのです。

結局ゼミには出席することはできませんでしたが、
両親と友人がつかず離れずの距離を保って私の行動範囲を少しずつ広げてくれたおかげで、
今は普通に外に出ることができるようになりました。
(人前で発表等は今でも不安感に襲われますが、以前のように嘔吐することは無くなりました)
因みに、不自由と感じない生活に戻ったのは、受診してから1年半後でした。

今は、大学も卒業し、社会に出て働いています。

私が社会不安障害を回復できたのは、
周囲の人の理解過保護ではない優しさだと思っています。

ちなみに、服薬はその後も頓服薬のみ使用等で5年ほど続けましたが、
今は服薬していません。

失敗したらまた帰りが遅くなるという不安が更に増大、悪循環の毎日でした

営業兼技術作業員として5年前から業務委託として仕事をしてきていましたが、
ここ3年くらい経営者が求めていること(主に報連相)ができず、
1年前に発達障害を疑い心療内科を受信しました。

診断結果は発達障害ではないが不安がかなり多いため
コミュニケーションがうまくいかないことがわかりました。

それでもと経営者の意に沿うよう1年間努力してきましたが
状況が更に悪化し仕事をやめることになりました。

経営者には不安障害であることを伝えておりましたが、
なかなか理解していただけず仕事と家庭を両立することが難しかったです。

家庭においては子供のこと、夫のことも仕事優先せざる負えないため疎かになり、
仕事においては家庭の都合は仕事をきちんとできてからという経営者の方針で
(あたりまえではありますが)、特に仕事あっての家庭という経営者の考え方と
生活がマッチしませんでした。

最後の1年間は日付変更線を超える指導もあり、
睡眠時間や家事などをする時間をとることが難しく、
その状態で次の日の仕事を考えていかなければならずまた失敗するのでは、
失敗したらまた帰りが遅くなるという不安が更に増大、悪循環の毎日でした。

経営者と2人だけの事務所であり、私が業務のほとんどを担っていたため、
休むことも許されず、休日もいつお客様から電話がかかってくるかわからない、
という休みでも休むことができない状態を5年間続けてわかったことは、
自分が不安障害でコミュニケーションを取ることが苦手であること、
すべてを自分で担うことができないということでした。

特にコミュニケーションについては、
20年連れ添った夫でもようやくわかったようです。

今は仕事をせず落ち着いて考えるようにし、何かあれば会話が苦手なので
LINEで夫とコミュニケーションを取るようにして生活をしております。

やはり会社勤めは相性が合わないとコミュニケーションが取れなくなるため、
今のところは在宅でできることを検討しています。

不安障害には時間や一手間かけることで
コミュニケーションをスムーズに行うことができると考えますが、
今の社会ではなかなか効率重視で時間をかけることも
普通の人では不要な手間をかけることはなかなか難しいため
自分のペースにマッチした会社や働き方を模索することが大事ではないでしょうか。

本で読んだだけですが、認知行動療法を行うことや意識することで
不安を少しでも取ることが可能である生活を送ることを第一優先にした方が、
悪循環のループから抜け出せるかもしれません。

私も子供が3歳になったときから働き続けて15年、
夫からしばらくゆっくり休みなさいと言われてから肩の荷が下りたような気がします。

まだまだ、他人とのコミュニケーションは難しく
引きこもりのような状態ではありますが、
時間があるので少しずつ前に進んで行こうと思っています。

きっかけは中学の時、些細な事で担任の先生が怒って教卓を蹴ったことでした

私は小さい頃から人見知りで、
クラスでもあまり目立つ方では無かったと思います。

自分の中では「みんなに好かれたい、嫌われたくない」と
いつも思っていました。

中学二年の頃までは何も支障なく学校に行けていましたが、
社会不安障害を発症したきっかけなんじゃないかと思う
出来事がその頃にありました。

1限目が始まる前に10分位のHRがあったのですが、
その時に些細な事で担任の先生が怒って教卓を蹴ったんです。

その時私は1番前の真ん中の席に座っていました。

普段から怒りっぽい先生だったのですが、
何故かその時だけとてもびっくりしてしまい震えが止まりませんでした。

とにかくその時は震えている自分を後ろにいるみんなに見られたくなくて、
震えを止めようと必死でした。

結局HRが終わるまで震えは止まらなかったです。

その後その事について誰にも何も言われませんでしたが、
それから視線大きい音を必要以上に気にするようになって、
授業中も震えたらいけないということに必死で硬直していました。

高校になってから電車通学になり、
電車に乗ると視線を気にして震えたり吐き気がしたりという症状も出てきて、
学校もたまに休むようになりました。

高校二年の頃に、なんとなく自分の症状をインターネットで調べました。

その時に視線恐怖症、対人恐怖症、
社会不安障害などという病気があることを知りました。

そしてそれは治るということを知り、
まず近くの心療内科に行ってみようと決めました。

両親にもこんな症状で悩んでいることを黙っていたので、
初めて打ち明ける時はとても言い難かったですが、
病院に付いて行ってくれると協力してくれました。

そして初めて病院に行き、あがり症克服や社会不安障害についてなどの冊子と
薬を出してもらいました。

薬は効果が出るまで2週間くらいかかると言われていたので、
飲み始めは副作用もありましたが、病院に通いながら頑張って続けました。

合う薬なども考えて下さって色々な薬を飲んだりして、
副作用が辛く学校に行けない日があったり、
もう消えてしまいたいと自己嫌悪になったり、辛いことも沢山ありましたが、
少しずつ視線や音に対する恐怖や緊張感なども無くなっていきました。

薬を飲み続けながら、なんとか高校を卒業して、専門学校に進学しました。

それから薬からも卒業することが出来て、
アルバイトですが三年くらい問題なく生活出来ていました。

ですが突然再発してしまったんです。

アルバイトは接客をしていたんですが、今まで問題なく出来ていたのに、
何故か視線を感じると震えが止まらなくなり、
その仕事を続けることが出来なくなって辞めてしまいました。

そして今、昔以上に症状が悪化したように思います。
家族と食事することさえも辛いです。

何が原因で再発してしまったのか分からないのですが、
今思うのは、薬は確かに症状を緩和してくれました。

ですが根本的な治療にはならないと思います。

病院に通っていた当時はカウンセリングも受けていましたが、
途中で行かなくなってしまいました。

辛い症状が無くなることは確かに大切ですが、
一番大切なのはカウンセリングなどで根本的なところの心の治療というか、
トラウマを克服したりすることなのかなと思います。

現在も社会不安障害は克服出来ていませんが、
これからちゃんと治すことが出来るように頑張っています。

社会不安障害だと気づいたきっかけは、妊娠・出産でした

第一子を出産後、かわいいはずの我が子をかわいいと思えず、
周囲に「相性が悪い」とこぼしていたほど気持ちが荒んでいました。

仕事をしていないのに、どうしても一人になりたいからと
保育園探しを必死にしていました。

そんな時、心療内科を受診しました。

当初は「産後鬱」という診断でしたが、
幼い頃から自覚のあった「対人不安」などを医師に相談すると、
社会不安障害」だと診断されました。

「アスペルガー症候群」かもしれないと悩んだ時期もありましたが、
医師から診断されたことですごく気持ちが晴れました。

幼い頃から「複数の人の前に出ると手と声が震えるほど緊張する」
「電話に出るのが苦痛」「仲良くなった関係を自分から壊す」
「大事なものをなくす」などの自覚症状があり、
「アスペルガー症候群」か「ADHD」なのではないかと悩んでいました。

世間知らずでもあり、30歳を超えたあたりから
やっと普通の人の感覚がわかるようになってきたほどです。

滅多に合わない主人の家族にも失言を多々しており、
主人に怒られたこともあり後で一人になって自問自答して後悔の嵐です。

これまでの友人関係も然りです。
診察してくれた医師によると、「アスペルガー症候群」ではないとのことでした。

でも、その医師は診断テストをしてくれたわけではなく
私の話を聞いて判断しただけなので、
私自身はまだ自分が「アスペルガー症候群」ではないかと疑っていますが。

とりあえず「社会不安障害」と産後鬱をどうにかしなければと思い治療を始めました。

お薬を服用しだしてからは、だんだんと気持ちが落ち着いてきて、
我が子をかわいいと思える余裕も出てきました。

そして、アルバイトをしながら電話にも出られるようになってきました。

だんだん良くなってきて、お薬も減らしてきていた頃に第二子を妊娠したので
そこで治療を終了することになりました。

その後は人と話していてもさほど緊張せず、
出産後、授乳後とお薬を服用せず普通の生活を送れていたのですが、
その頃のアルバイト先で対人関係のトラブルを起こしてしまい、
極度の緊張で心拍数が100を超え、人と会話することが怖くなり、
結果仕事を続けることができなくなって辞めざるを得なくなりました。

その後、また心療内科に行きお薬をもらい、
子育てに専念して自宅にひきこもりながら
自分を落ち着かせるようにしてきました。

今回はカウンセリングが必要だと思い、
カウンセラーのいる別の心療内科を受診しました。

そちらで話を聞いていただき、だんだんと落ち着いてきて、
また普通の生活をおくれるほどにはなってきました。

今は通院しておらず、残っているお薬をいざという時に服用する程度です。

ですが、まだまだ普通の方のようにママ友をたくさん作ったり、
接客や営業のような仕事をすることはできません。

ですが、少しずつママ友ができてきて引きこもりも改善してきています。
それに、開き直って自分に向いている仕事を探しているところです。

今までトラブルが多かったのは、向いていない仕事を無理してしていたから、
だからすぐ仕事をやめてしまっていたのではないかと思います。

幼いころに人と接する努力をしなかったことも悪かったでしょう。

10代の間にいろんな失敗をしておけば、20代30代とをかかずにすんだはずだし、
恥だからといって緊張することもなかったと思います。

幸い主人が理解してくれているので助かっています。

これからも自分でどうにもならない時はお薬に頼りながら、
でもなるべく少しずつでもいいから人と接する努力をしていきたいと思っています。

社会不安障害とうまく付き合う方法

私は学校を卒業して社会に出てから社会不安障害(SAD)になりました。

もともと人前で話すことが苦手だったりする性格だったので、
学生時代はみんなにまぎれることでごまかしていました。

でも社会に出ると学生時代とは違い、
いろいろとストレスも増え体調を崩すようになりました。

もともと自分に自信がなかったこともあり、不安を感じることも増えました。
だんだんと外を歩くことにすら恐怖感を感じるようになってきました。

ひどい時はチャイムが鳴っても玄関を開けることができないくらいでした。
それくらい人に合うこと自体に恐怖感不安感を感じていました。

どうしようもなくなり自らメンタルクリニックを訪れました。

始めは一人で外出することも不安だったので母に付き添って貰って行きました。
病院では社会不安障害と診断されました。

それまではなんとか外に出て働かなくてはと
追い立てられるような気持ちが常にあったのですが、
病名がついたことでとても安心したのを覚えています。

私は頑張っても人並みのことが出来ないと自信を失っていたので、
病気だから仕方ないと思えたことは救いでした。

それからは家でのんびりと生活することにしました。

しばらくして薬飲みながら
アルバイトなどを始めることも出来るようになりました。

まずは初めのステップとして病院へ行き
自分に合った薬を飲むということは勇気のいることですが、
とても大事なことだと思いました。

あとは薬を飲みながらでも少しづつできることから始めてみるのもいいと思います。
疲れたと思えば休めばいいのです。

病気を自覚して自分にあったペースで生活をしていけばいいのだと思います。

社会不安障害、パニック障害を経験して

私は大学生の頃、ある日突然激しい動悸めまいに襲われました。

その頃は無理がたたって体調を崩しただけだと思っていましたが、
日に日に体調は悪くなり、病院へ受診しましたが風邪でしょうということで、
風邪薬をもらって帰りました。

しかしその後も体調はよくならず、むしろ精神的に不安でより悪くなる一方でした。

そんな中、大学のゼミの時間に、一人ずつまわってくるスピーチ
大勢の人の前にたつ場面大事な試験など、様々な場面で異常に緊張する、
動悸がする、立っていられなくなるなどの症状がでるようになってきました。

さらにそれはひどくなり、なんの前触れもなく
突然の動悸過呼吸めまい不安感に襲われるようになり、
学校に行くことも困難な状況になりました。

しかし様々な病院へ行って検査をしても、体には何も異常はなし。
検査結果も問題はない。

さらに不安と、自分はなにか大きな病気なのではないかという
絶望感で精神的にも弱っていき、夜もまったく眠れないほどの不眠症にもなりました。

そんな中、母親に心療内科を受診してみないかと提案され、
自分には無縁だと思っていた心療内科へと足を運びました。

そこで、社会不安障害パニック障害と診断されました。
そこで処方された薬を飲み始めて、驚くほどに症状は改善していきました。

それから6年。今では症状はまったく安定していますが、
心療内科へは月に1度通い薬を処方していただき、
毎日の生活をしっかりと過ごしていけるよう薬は飲んでいます。

もちろん最初より薬の量ははるかに減りました。
ですが症状が治まったからといって、すぐにやめることのできる病気ではないのです。

薬の力もかりながら、
毎日の生活をしっかり過ごしていけるようにすることが、
今の自分の第一の目標です。

もちろんゆくゆくは、薬の力を借りることなく、
もとの自分に戻ることを目標に頑張っています。

こういった病気になりやすい人は、頑張りすぎる人が多いと言われます。

私も、頑張らなくちゃ・期待に応えなくちゃと思いすぎて、
自分を追い込みすぎた
んだと思います。

今は、そんな自分自身をわかってあげて、
頑張りすぎているようなときは少し休んで、
休んでいる自分も責めたりしないようにしています。

このような病気の周りにいる方々も、
その気持ちをわかってあげるだけで、本人は非常に救われると思います。

私たち本人は一番頑張っています。

いつか必ず元通りの自分に戻れると信じて、
毎日楽しく、自分らしく過ごしていきたいと思っています。