内気な性格の自分が『私』なのだと思い込んでいました

幼稚園の頃、私は周囲の大人からもよく『元気だね』
『いつもニコニコしている』と言われる程に活発な子供でした。

小学校に上がり、様々な事を勉強して楽しい毎日。

自分で言うのもなんですが成績は学年でも良い方で、
先生からも模範生としてよく褒められていました

けれど小学4年生の時
算数の授業で手を挙げて答えを発表した時です。

たまたま答えが間違っており
クラスメイトのやんちゃな数名の男の子達に笑われてしまいました。

彼らは悪気は無かったのだと思います。

しかし当時の幼い私には『自信満々で答えたのに恥ずかしい』
『失敗したら笑われてしまう』というトラウマ
が植え付けられたのです。

それから、私の性格は真逆に変わりました。
通知表の内申にも【積極性に欠ける】と書かれてしまう程に・・・

それからはずっとその性格は変わらず、
自分もその内気な性格の自分が『私』なのだと思い込んでいました。

当時の私にはそれが病気なんてとても思わなかったのです

17歳になりスーパーのレジで働きはじめ、
そこまでは問題無かったです。

勤続年数も長くなり、レジのリーダーを任される事になりました。

それに伴い新人を教育する為の研修を受けに行くことになり、
知らない他店舗の方々と話し合う場が設けられ
意見を求められた瞬間に頭が真っ白になり、
何も答える事が出来ず、泣き出してしまいました。

『社会人として情け無い』そればかりでした。

会社でも電話を取る担当は決まっていたのですが、
担当が不在の時は手の空いてる人間が取る決まりになっていました。

その電話も鳴っていても『もし、私の受け答えが間違っていたら・・・』
そう頭によぎり、電話を取る事もままなりませんでした。

とにかく発表の場では
・失敗したら笑われる・笑われる事が恥ずかしい
・素っ頓狂な事を言っているのではないか
・自分の答えは間違っているのではないか

と、考えるようになっていましたが、
その会社で別のストレスにより長期休暇を余儀なくされた際、
心療内科にかかったところ【社交性不安障害(旧・社会性不安障害)
とも診断されました。

その診断をくだされた時『あぁ、これは病気だったんだ、治せるんだ』
と思っただけで大分心が楽になりました

今は一ヶ月に二回、ゆっくりとカウンセリングをして、
4年生の頃の失敗を受け止め取り除いています。
特にお薬は使用していません。

少しずつ、少しずつですが前より表情も明るくなって、
話しかけられるのを待っていた事が多かった私が
自ら人に物を尋ねたりする姿に母も喜んでくれています

焦らず、ゆっくり、人に元気を与えられるような以前の私に
変われるよう頑張りたいと思っています

一番最初におかしいと感じたのは名刺交換でした。

私はホテルの専門学校を卒業し、ホテルで4年程働きました。
そのあと寿退社をし、家事との両立の為に
事務の仕事を選びまた5年ほど働きました。

事務の仕事は初めてだったので、経験が無くても出来るような
受付や来客応対がメインの事務を任されました。

お客様にお茶を出す。
ホテルで毎日それを仕事としていました。

事務のお仕事を始めてから3年ほどは普通に出来ていました

ところが主人が転勤になり、私も仕事を辞め新しい土地
新しい職場へと移りました。

今までの事務とは打って変わって、自分のパソコンを持ち、
名刺をもらい、自分の担当のあるなんともやりがいのある仕事になりました。

そうなった途端、お茶出しが出来なくなってしまったのです。

一番最初におかしいと感じたのは名刺交換でした。
極度の緊張でした。

初めての名刺交換
専門学校で勉強したことしか無かったことで、
手順とか考えて手に汗をたくさんかきました。
それと同時に信じられないくらい手が震えたのです。

そのあとはもちろん名刺交換の時は手が震えたし、
お茶を出す時も手がふるえました
お客様相手になると震えたのかもしれません。

震えることが怖くて、恥ずかしくて、
『あっ、お茶出ししなくちゃならない』という
タイミングを見計らってトイレに立ったりして逃げました。

お客様が見えるとお茶出しのことを考えて、
心臓が飛び出る位ドキドキして仕事が手につきませんでした。

私が逃げることで他の人がお茶出しを
しなくちゃならなくなることに罪悪感を感じました。
でも誰にもこのことは打ち明けられませんでした。

これではいけない、逃げてばかりはいられないと精神科に行きました。
そこで『社会不安障害』と診断されました。

まだ若いから薬は飲まない方がいいと言われました。
場数を踏んで慣れるしかないと。

慣れるよう回数をこなせ!!と頑張りましたが、
一向に恐怖は取り除かれません。

今度はカウンセリングを受けました。

そこで言われたのが『震えて何が悪いんですか?』と。
この一言が私を少し救いました。
そうかー。震えてもいいんだと。

そして、何でも話せる同僚に話してみました。
その友人は『どうしてもっと早く言ってくれなかったの。
気付いてあげられなくてごめんね』と言ってくれました。

これでまた救われました。
分かってくれる人がいるんだと。

今は出産、育児で仕事をしていませんが、
今後仕事をする時は出来ればお茶出しはしたくないなと思ってます。

仕事を辞めてから5年経過してるけど、
また震えたらどうしようと思う事があります。

でも、戦って自分に勝っていかなくてはならないことだろうと思います。

他人から見ればそんなことでどうして震えるの??
と思うことだけど、自分だってどうして震えるのか分からないのです。
他の人に打ち明けてみると気が楽になることは間違いないです。

温厚だと思っていた教授が、急に人格否定をしてきたショックから「適応障害」になりました。

教授」とあるように、大学時代から院へ上がったときのこと。
今まで温厚だと思っていた教授が、急に人格否定をしてきて、
そのショックから「適応障害」になりました。

今はもう回復しており、いやな過去だった、程度です。

当時学生だった私は、その日を境に大学へ行けなくなりました。
家族は60近い父親と高卒で社会にでていた妹。母はすでに他界。

大学から実家までは1000km以上離れており、
そう簡単に帰れる場所ではありませんでした。

しかし父親は大学へ行けなくなったこと、
その出来事を涙ながらに連絡した日からすぐに駆けつけてくれました。
(当然1日はかかりましたが)

でもそれが最初の心の安定に繋がったことは間違いないと思います。

その後父とともに大学の相談支援センターへ行きました。
ただそのときはすべてに絶望しており何を相談したか内容もよく覚えていません。

そして大学院を中退することになりました。

流石にもうあの場所にはいけない、
ストレスの源から逃げたほうが生きるうえで必要との判断からです。

実家に帰ってからは病院探しでした。
これは父親が探してくれました。
結果として3つ目の病院が大きなはずれだったと思います。

さて、何がはずれかというと、その先生は「病気ではない」と診断したからです。
3ヶ月程度経っていたときでしょうか。

そのときは正直うれしかったです。
ああ、自分は精神病ではなかったんだ、と。

その後社会に復帰するため資格の勉強をし、
その資格を生かした特殊な仕事にすぐに就くことができました。
(特殊な職業のため伏せますが、いわゆる国家公務員2種のひとつです)

ですが、まだ仕事に就くのは早かったようで、
就いて2週間後、先輩のちょっとした注意が
あのときの記憶をフラッシュバックさせ、涙がとまらなくなり、
夜には過呼吸となり、もう職場に行くことができなくなりました。
あの時耐えられていたなら今頃こんなことを書いていないでしょう。

さて再び実家に戻り、2、3違う病院を経て、
今度はまともな精神病院に入ることができました。
結果、ここの先生に救われることになります。

当時で覚えていることは「焦らなくていい」ということだけですが、
それが一番大切だと思います。

半年程度通院し、先生の勧めで1ヶ月入院し、
その後通院しながらその病院が経営する授産施設で2年近く働きました。
この2年の間に自信を取り戻すことが出来たと思っています。

失われた貴重な時期の3年間とは思いますが、
結果として精神的に成長できたのかな、と思います。

もちろんその間何も考えずに行動していたわけではありません。
焦りもありました。就職はどうすればいいのかという迷いや不安もありました。

ただ、こればかりは時間をかけなければならないと思いますし、
焦って就職した結果2週間で退職という出戻りも食らいました。

精神的な成長とは、その間に出会った思考があります。
それはブッダの思考でした

(宗教ではなく、あくまでブッダ本人の教え。
この回復期は宗教に嵌りやすい時期だから気をつけなさいと
先生に忠告されたので、特に注意しました。)

病院の先生の言葉を聴き、それを咀嚼し理解し、
そして授産施設で行動に移してみることも大切な時期だったと思います。

今ではもう怒られたり注意されることで
フラッシュバックすることはなくなりました。

たまにこう思い出しては、精神的に成長したなぁと思えるようになりました。

ちなみに薬は5年たった今でも、
飲んではいますがそろそろ止め時だと先生がおっしゃっていました。

逆に言えば5年経てば解決する病気、ということです。
この5年は、長いようであっという間だったような気がします。
焦らないことが一番です。

SAD発症から4年経過した今、販売の仕事に再就職をしています

私がパニック障害、社会不安障害(SAD)と診断されたのは、
丁度今から4年前の6月のことでした。

当時私は22歳、パソコン関係の仕事をしていました。

ある日仕事中に過呼吸のような症状、動悸、凄まじい焦燥感に襲われ、
思わず職場から飛び出してトイレにこもり
落ち着くのを待つしかありませんでした。

その後も過呼吸のような症状はなくなったものの、
突然襲ってくる動悸、叫びだしたくなるような焦燥感を何度も味わい、
たまらず内科の診察を受けました。心臓の病気かと思ったのです。

すぐに不整脈の検査やレントゲン撮影など
幾つかの検査を受けることになりました。

ところが検査結果を見た先生に言われた言葉は…
「うちではお薬は出せるけどあなたの症状を改善することは出来ない、
心療内科を受診してはどうか?」でした。

すぐに近くの心療内科の予約をとり、
カウンセリングや簡単な問診を受けた後、
社会不安障害とパニック障害であると診断されました。
仕事のストレスが原因だろう、とも言われました。

正直、目の前が真っ暗になるほどのショックを受けました。
精神病?通院が必要なのか?仕事はどうなるのか?
不安でいっぱいな気持ちでした。

担当の先生とも相談し、
SSRI抗不安剤を2種類飲み続けることになりました。

お薬を飲むと不安感や動悸は治まるものの、外に出るのも怖い、
安心出来る誰かがそばにいてくれないと不安…

毎日薬と薬を飲むための水をカバンに常備し、
いつ発作が起こるかと緊張する毎日でした。

だんだん外に出るのが怖くなり、
結局仕事を自主退職することになりました。

貯金も少なく、このまま病気が治らなかったら…
という気持ちで毎日が本当に憂鬱でした。

家族の支えがなければ自ら命を絶っていたかもしれません。
それくらい毎日が辛かったのです。

投薬を始めてから1月程度は何も変化はなく、
このまま病院に通っていて意味はあるのか?とも考えました。

投薬とカウンセリングを始めて半年ほど経過したころから、
だんだんと外での動悸、息苦しさが少なくなってきたような気がします。

1年半ほど治療を進めた結果、抗不安薬の服用はかなり減り、
薬を飲まなくても外出が出来るようになりました、本当にうれしかったです。

SAD発症から4年経過した今、私は現在販売の仕事に再就職をしています。
朝9時から18時まで人と接してばかりの毎日です。

今は全く発作は起こりません、先生と相談した結果、
もう薬は飲んでいません。通院もしていません。

お守り代わりに一応いつもカバンに抗不安薬は入っていますが(笑)

外に出るのも怖い、人と接するのが怖い、
そんな風に思っていたあの頃の自分が嘘のようです。

社会不安障害パニック障害は本当に難しい病気で、
なった事のある人にしかこの辛さは分からないと思います。

ですが、諦めずに治療を続けることによって
絶対に改善する日が来ると思います。

この文章を読んでくれたあなたが
笑顔で過ごせる日が来るように祈っています。

教室にいると動悸が激しくなり冷静でいられなくなりました。

大学生時代に社会不安障害と診断されました。

私は中学まで周りにいじめられたり、からかわれたりしながら過ごし、
それが元で高校時代には孤立していました。

大学には気さくな人がたくさんいて最初は楽しかったのですが、
いつかは裏切られるのではないか、いつかは失望され
見捨てられるのではないかと思うようになり、
教室にいると動悸が激しくなり冷静でいられなくなるようになりました。

そういうときは外に出て休んでいましたが、
授業が始まると教室に鍵をかける先生や電車・バスのような
自分の意志で外に出られない場所に入ると呼吸が苦しくなり、
眩暈や吐き気がするようになりました。

とても苦しかったのですが両親は理解してくれず、
心療内科にかよっていてなかなか治らなかったり薬の副作用(主に眠気)で
横になっていたりすると「怠け病だ」「いつ治るのか」などと言ってきて、
それが苦しさにますます拍車をかけました。

どんなに苦しいと訴え、泣いて取り乱しても、
私を責める言葉は無くなりませんでした。

それどころか調子の悪い私に無理やりアルバイトをさせようとしました。

スーパーのレジのアルバイトで、店長も他のバイトの人もいい人ばかりだったのに、
人の目も怖いし自分が失敗しないかという不安もどんどん強くなるし、
動悸と吐き気がおさまらなくなってすぐに辞めました。

気が狂うかもしれない、いっそ狂ってしまった方が楽かもしれないと思いました。
死にたいと願いました。

唯一理解を示してくれた家族はでした。両親に責められて泣く私のことを、
当時中学生だった妹はいつも慰めてくれました。

苦しい時期はとても長く続きましたが、
カウンセリングを受けるうちに少しずつ楽になっていき、
妹や友達に支えられることで安心感を得られるようになりました。

薬や通院は、あれから5年以上経った今もまだ続いていますが、
最低限で済んでいます。

何が一番大切だったかと思い返すと、
薬でも通院でもなくてやっぱり周囲の理解だったのだと思います。

甘えではない、怠け病でもない、これは心の風邪のようなもの、
病気なのです。それを、どうして突き放され冷たくされることで
改善などしましょうか。病人に氷水をぶっかけるようなものです。

どうか社会不安障害やその他神経症への理解が
もっと得やすくなりますようにと願ってやみません。

社会不安障害で理由がわからないまま離婚をすることに

元々は、社会不安はなかったのですが、元夫の突然の行動で、
困惑して、ものすごくこちらも体調が悪くなり、それからというもの、
社会不安障害のような状態になりました。

買い物をしている時に、レジで並んでいて、
立っていられなくなるほどに調子が悪くなったりしました。

全く理由がわからないまま離婚をすることになったので、
子供の転校をしなくては行けませんでした。

先に、実家に冬休みだったので、移り住んでいたのですが、
転校手続きのために、元の学校や幼稚園に行かないと行けないことになっったり、
元の住んでいた市役所に手続きに行くことになったのです。

しかし、行こうと思っても、体がものすごく不調になってきて、
普通に元住んでいた市に行くことができませんでした。

しかし、行く必要があるので、少しずつ、近くまで、行ってみて、
調子が悪ければ、戻り、調子が良ければもう少し先まで行ってみるという感じで、
慣らしていきました。

その頃は、ものすごく疲れやすくなっていて、
寝ては起きての生活をしばらくしていました。

精神的に調子が悪い夫にされたことで、ものすごくこちらも調子が悪くなって、
人前や、社交の場に行くことがとてもしんどかったです。

何か言われるとか、変な目で見られるという感覚は特にはなくて、
ただ、特定の場所に行くと体調が悪くなるという感じでした。

多分、ベースにも体調不良があるのが、
その場に行くと更にそれがよくわかるという感じで感じられていたのでしょう。

突然に夫の人格が変わったことで、不安になり体調を崩しました

社会不安障害について、当時はどんなものかも知りませんでした。

しかし、結婚していて、11年め頃に、
突然に夫の性格というか人格が変わったようになって、
怒鳴り始めて、耐えていたのですが、耐えられないと思ってきている時に、
夫のほうが家を飛び出し、どうなるのかと不安に思って体調を崩しました。

子供も小さかったので、精神的な影響が出ていたと思います。

全く、話し合いがつかないままに、私が悪いということになって、
夫の家族にも責められることが多くなり、離婚をすることになりました。

それから、だいぶ体調が悪くなって、実家に帰ることができたので、
なんとかやれたのですが、周りの家族もわけが分からず、
私が何かしたのかと責められたりもしました。

私の前では、ものすごい、怒鳴りぶりを見せるのですが、
他の人の前では、泣きついたりと私からすれば、
夫はとても演技的に見えました。

病気のようにも見えました。

離婚までも、話し合いができずに、怒鳴られることが多かったのですが、
その後、私は、メンタル的な勉強をして、
精神的な病気が色々あることを知りました。

私も、住んでいたとなり町に行くことができず、用事があったのですが、
どうしても調子が悪くなって行けませんでした。

勉強をするうちに、その解消法を学んで、
なんとか行くことができるようになりましが。少し行って、
大丈夫ならもう少し、調子が悪いなら引き返すという具合に
少しずつ慣らしていく方法です。

今では、平気でいくことができるようになりました。

高校に入ると突然人の目が気になってしまい、目の前に誰かがいるだけで不安になってしまうほどでした

中学、高校と友達ができず、
いつも大人しく静かに一人で携帯をいじったり
絵を描いたりして過ごしていました。

中学時代は「自分は一人でも大丈夫、一人でいる自分がかっこいい」と思い込み、
他人から何を言われても動じることはなかったのですが、
高校に入ると突然人の目が気になってしまい
目の前に誰かがいるだけで不安になってしまうほどでした。

先生の話を聞くだけの授業なら問題なかったのですが、
英語の時間に誰かとペアになって話したり、
家庭科の時間にグループで調理実習をしたりする機会があり、
先生がグループやペアを作れというと震えが止まらなくなり
泣き出しそうになっていました。

苦痛のあまり胃痛を引き起こし、
耐え切れなくなって保健室へ逃げることもあり
授業出席が足りないと担任に注意されてしまいました。

なぜこんなにも人の目が気になってしまうのか解決したくなったのと、
診断書があれば出席日数が少なくても大丈夫ということもあり、
精神科に行ってみた結果、社会不安障害と言われました。

持病のために薬を服用していたため、
の薬は飲まないようにしようということで終わってしまいましたが、
結局高校を卒業するまで社会不安障害は治りませんでした。

「教室に行けないと大学なんか行けないんだから」と強く言われ続けたので、
大学に行くため、泣きそうになりながらも堪えました。

とてもしんどかったです。

現在は志望大学に入学し、サークルでバンドを組みドラムを担当しています。
なぜバンドを組んでいるのか自分でも不思議なのですが、
音楽が好きなことと、友達ができたことがあったからだと思います。

ちゃんと社会不安障害を理解してくれて、
心配しながらも少しずつ良くなるように
声をかけたり話してくれたことに感謝しています。

人前に出ることを無理強いせず、
一緒にいて不安を理解してくれる人がいれば、
良くなっていくのではないかと思います。

レジで支払いをする際お金を出す時に手が震え、一番怖いのはおつりをもらう時です

私は統合失調症などと平行して発症している社会不安障害です。
40代後半、家族は50代の夫と中学生の子供が一人の三人家族です。

社会不安障害が発症するまでは、
学校のPTA役員としても活動していましたが、
人前で発言したりする機会が増えるごとに、
違和感を覚えるようになりました。

自分の発言や意見が、趣旨にそっていなくて、
人から変な人だと後ろ指を指されているような気がしたり、
女社会にありがちな、噂のまとになっているのではないかと思うと、
積極的に発言ができなくなってしまいました。

書類などに署名をする際、人前だと手が震えてしまって書けないとか、
ドリンクバーで飲み物を入れて運ぶときに、手の震えの余り、
こぼしてしまいそうになる事も多く、
ママ友達と外食する事もできなくなってしまいました。

また、お買い物に行ったときに、
レジで支払いをする際、お金を出すときも手が震えるし、
一番恐いのは、おつりを受け取る時で、震えが最高潮に達してしまって、
相手の手をはじき飛ばしてしまいそうになるのです。

当然お金は周辺にばらまかれる事でしょう。

それを想像するだけで、肩に緊張が走り、手の震えが止まらなくなります。
家に引きこもっている間は、そういった症状が出ません。

出るのは決まって、人前に居るときだけです。

なので、余程の用事がなければ、外出する事はなくなりました。
専業主婦だから許されている事だと思うと、家族に申し訳ないです。

人前に出られなくなって5年くらいになります。
この病気が治らない限り、外で仕事に就くことも出来ないと思います。

社会不安障害と気付いたきっかけは、店員さんと話そうとすると言葉が出なかった時でした

私が社会不安障害をはっきりと体験したのは、
今から10年ほど前に1日12時間以上毎日、
パソコンの前に張り付いて作業するような仕事をしていたときのことです。

休日に買い物をするためにお店に立ち寄り、
店員さんと話そうとすると言葉が出ない。

とにかく緊張してボーッと上がってしまって、
自分がなにを話せばいいのか分からない状態になったのです。

そのときはおかしいなと思いながらもやり過ごしましたが、
会社内でプレゼンをしなければならないときに、
その症状は決定的なものとして表面化しました。

資料を用意したにも関わらず、
緊張、赤面、同じ言葉を何回も繰り返すなどして
自分が言いたいことの10分の1すら言えずに、
そそくさとプレゼンを終わらせてしまいました。

もちろん評価は最悪なものでした。

その後、はじめて会う人との会話が困難になってくるなど、
次第に症状は悪化し、仕事を辞さなければならない所までいきました。

現在は前職とは違った職業についています。

私は子供の頃から
具体的な社会不安障害の症状を持っていたわけではありませんが、
子供の頃から不安は強く、内向的な性格を持っていました。

ストレスの蓄積により発症したと考えられます。
しかし、そうなってしまった自分を否定する必要はありません。

生涯有病率は10%を越えるなど比較的高い病気です。
完全に症状がなくなるほどに克服したという事は難しい事でしょう。

それなら受け入れて、
その個人個人にあった行動や仕事をすれば良いのです。

人と折衝する仕事をしなければいけないわけではないし、
飲み会に参加しなければいけないわけでもない、
人と話して死ぬわけではない。と気楽にかまえることにすると、
症状も軽減されると実感しています。