結婚してから息苦しくなったり赤面することはなくなりました

小さな頃から人見知りでした。
家では良く話すし、笑うのに、外に行くととっても静か
「すごくおとなしいのね」大人はそう言ってくれました。

ほっとしたのを覚えています。
でも学校に入学すると、そうもいかない。

本を読まされるのも嫌。
日直で前に文字を書いていても誰かに見られている気がする。

前に出てする発表なんて、もってのほか。

前に出て、言葉を発するまでの時間がものすごく息苦しい感じです。
小さな頃は赤面もよくしました。

でも赤くなったことがばれるのも嫌という感じです。

それなりに成績が良かったので、
リーダーに指名されることが多かったのですが全力で拒否しました。

部長に任命された時は、泣きました。泣いて逃げました。
それで部長からは解放されました。

大人になっても、スピーチは大嫌いでした。

派遣社員で働いていた私は、正社員になるよう部長に
勧誘されて、とてもなりたかったのですが、
「月に何回かある、課での自由発表が嫌」なので断りました。

自分でも不思議なのですが、嫌で嫌で、
想像しただけで息苦しくなるのです。

今までにもそういうことは何度もあって、
気持ちじゃなくて本当に息苦しいし、夜は悪夢も見ました。

随分たってから、SADという病気を知り、
もしかしたらSADなんじゃないのと言われて、
きっと私はそうだな、と、思いました。

でも、診断は受けませんでした。

病院が無い国なら、病気と判断されないはず
病気だと診断されたから治るものでもないし。

今は、なぜか、息苦しくなったり赤面することはなくなりました。
いつからかと言われたら、結婚してからだと思います。

自分に自信ができたら
見られてもなんとも思わないし、多少失敗してもなんとも思わなくなりました。

他人にどう思われたって、
家族は「大丈夫そのままでいいよ」って言ってくれるからです。

まわりの深い愛に救われてといいますか
愛情の中にいるから、病気も病気と思っていないのかもしれません。

人によるかもしれませんが、わたしは
「病気だ」と言われたら傷つくので受診しませんでした。

なんでも白黒つけないで、うやむやにして、大丈夫な範囲で、騙し騙し
自分を肯定するのも、ひとつの解決法だと思います。

小学校の頃の引越(転校)で社会不安障害になり、今はインデラルという βブロッカーと呼ばれるお薬でしのげています

初めまして。
普通の会社員している31歳女性です。

少しだけ私が社会不安障害と診断されてからの
出来事を綴っていこうと思います。

私は小学3年のときに大阪から地方へ引っ越してきました。

もともと活発な性格の私でしたが、
引越し(転校)してから引っ込み思案になりました。

なぜかというと、環境が変わり友達も一から作るという
小学3年の私にとっては重大なことだったからです。

数ヶ月はクラスにも馴染めず辛かったことを覚えています。

小学5年生の頃、国語の授業中に先生に当てられ
教科書を読むようにと言われました。

それまでは何も感じていなかったのですが、
その時は急に教科書を持つ手が震え手足がガタガタと震えました。

私も急なことなので「なんで?」と疑問でしたが、
それが今後の人生を左右するなんて夢にも思いませんでした。

それから中学・高校と進学していく中で、
人前で何か発言することが恐怖に変わり、
学校へ行くのが本当に嫌で仕方がありませんでした。

友達と会話することはなんともなく、むしろ楽しいのですが
授業中に人前にたって発言するときにだけ発作?
のようなものが出始めるようになりました。

高校生の頃は、本気で学校辞めたい!と悩んだほどです。

ですが、この悩み・不安を
誰に打ち明けていいのかわからないまま大人になっていました。

大人になるまで「人よりも緊張するタイプなんだ」と思っていましたが、
大人になって更に人前に立つことが増えてしまい、
症状はさらにエスカレートしていきました。

とにかく私の症状は、声・体の振るえ、動悸、息切れ、
予期不安(ありもしないことを考えてしまう)、
言葉がうまくしゃべれなくなるといった症状でした。

なかなか世間には受け入れてもらえない病気です。

心療内科にも精神科にもかかり、
精神安定剤など処方してもらいましたが私には何の意味もありませんでした。

気休めでしかなかったですね。

心療内科・精神科の先生からは
「社会不安障害・あがり症は気の持ちよう」とか
「あなたは緊張してるかもしれないけど、
人はそれほどあなたの話を聞いていないから
もっとリラックスした方が良い」など言われ、絶望しました。

今でもあのときの気持ちをはっきり覚えています。
ネットで徹底的に「社会不安障害 治療」と何度も何度も調べました。

ですが、これで治る!という方法は残念ながらないようです。

社会不安障害・あがり症に悩まされて20年以上経ちました。
いまだに症状は完治しておりません。

ですが、今はインデラルという
βブロッカーと呼ばれるお薬を飲んでいるので一時的には凌げている感じです。

現在、私は仕事をしながら
アロマセラピストの勉強をしています。

資格を取得して自分と同じような症状で悩んでいる人の
力になるのが私の夢ですね!

社会不安障害に悩んでおられる方は少なくないと思いますが、
いつかきっと治る!と信じて前に進んでいってほしいです。

小さいころから人前でのスピーチで、声が震えパニック状態になり、泣いてました

小さいころから人見知りの激しい性格で、
ずっと母親にくっついていました。

幼稚園に行くとき、離れることが嫌で泣いていました。
幼稚園の先生は、みんなの輪に入らない私を見て心配していたそうです。

小学生になると、学校に行く時間になると、
嫌だ!を何回も言い母親を困らせました。

学校についてからはクラスの子と話すということが苦痛で仕方ありません。
授業中も家に帰りたいという事ばかりを考えています。

小学生になると日直が回ってきて、
クラスの子の前でスピーチをしないといけません。

声が震えるし、パニック状態になり、ひどいときは泣いてしまいました。
みんなに笑われて嫌な思いをしました。

そのときは、終わればまったく気にしませんでした。
中学生になっても人見知りは直らずにクラスの子とあまり話せません。

国語の授業の朗読では読めても声は震えます。
感想をいう時には頭が真っ白になり、言う事が出来ません。

しまいには泣いてしまいます。

こんなことを繰り返す中学生活でしたが、
なんとか卒業して高校生になりました。

高校でも人見知りで、自分からは話せません。
中学より症状がひどくなりました。

誰かに話さないといけないような状況になると、
声が震えたらどうしよう、変な人に思われないかなあ、
と考えると声が出づらくなります。

人間関係がうまく作れずに困って学校をやめようか考えました。

母に相談して精神科を受診したときに、
社会不安障害と診断されました。

小さい時から病気だったみたいです。
今でも症状は残っていて、近所の人に会うのが怖くて避けています。

電話がかかると足が震えて受話器をとると喉がつかえた感じで声が出しづらいです。
きっとこれからも付き合っていかないといけないと思います。

幼稚園のママ友生活での不安障害

子供を出産するギリギリまで働いていました。
しかし出産と同時に夫が転勤となり、やむなく退社することになりました。

誰も知り合いがいない場所で、1から子育てをすることになりました。
かなり不安もあり辛かったです。

しかし幸いなことに良い隣人にも恵まれ、なんとか過ごすことができました。
しかし夫は転勤族、子供が幼稚園に入る年にまた転勤となりました。

次は地方へ行きました。
ここでのママ友生活がかなり辛かったです。

社宅に入ったのですが、夫がそれなりの立場にあった私達は一番新しく、
広い社宅でした。

しかし幼稚園のママ友たちは、皆古い社宅でした。

それでもママ友を作らなくてはと必死だった私は、
なんとかその古い社宅の人達と仲良くしようとしました。

それが却ってよくなかったのでしょう。
上手く行きませんでした。

その上、夫は夫で育児にはまったくノータッチで、
私の愚痴など聞いてもくれませんでした。

ママ友社会と家庭という社会で孤独になり、
いわゆる不安障害の症状が出るようになり、社宅へ帰れなくなりました。

私の場合、幸いだったのは、まだ両親ともに健在で実家、
義実家ともに頼ることができた点です。

どうしても社宅へ帰ることができなくなった私は、
下の子を連れて実家へ帰ることにしました。

しかし上の子は幼稚園だったので、連れていく訳にいきませんでした。
なので、義母に来てもらい、長女の面倒と家事一切をお願いしました。

私と下の子の世話は、実母が見てくれました。
おかげでかなり良くなりました。

主婦にとって、
家族の支えが一番大切だと思いました。

社会不安障害を回復できたのは、周囲の人の理解と過保護ではない優しさでした

大学生の頃、少人数のゼミなどに参加し、
皆の前で自分の研究を発表しなくてはいけないという状況を知った際、
失敗したらどうしよう、皆に笑われたらどうしようと考えるようになりました。

そこから日にちが経つにつれ、ゼミの不安感というよりは、
漠然とした不安感や恐怖感でいっぱいになり、
外に出ることさえも怖くて仕方なくなりました。

その後、藁にもすがる思いで心療内科を受診しました。
社交不安障害」と病名が付いた時、とても救われました。

私は病気だったのだ、私の性格の問題ではなかったのだ、
薬を飲んで治療をすれば普通の生活に戻れるのだと。

両親、友人に話すのが怖くて仕方なかったのですが、
学校に行けていないため、伝えるしかありませんでした。

両親、友人ともに大事にはせず、
受け入れてくれた事は本当に感謝しています。

基本的に外に出るのが不安で仕方なかったのですが、
「緑のいっぱいある所」「水のある所」には行くことができました。
(例えば、緑が生い茂っている公園、温泉)

きっと、気持ちが落ち着くのだと思います。
両親も友人も公園や温泉に付き合ってくれました。

また、人前でご飯を食べることも恐怖になっていたのですが、
「じゃあ食べなきゃいいよ、私はお腹が空いたから食べるけど」と
私を気にせず食事をしてくれていました。

周囲の人の「行きたいところに行けばいい、食べたくないなら食べなくていい」
という丁度いい放置が本当に助かりました。

私は「大丈夫?それは大変!なんとかしなきゃ」というように、
皆から気を使われるのが嫌だったのです。

結局ゼミには出席することはできませんでしたが、
両親と友人がつかず離れずの距離を保って私の行動範囲を少しずつ広げてくれたおかげで、
今は普通に外に出ることができるようになりました。
(人前で発表等は今でも不安感に襲われますが、以前のように嘔吐することは無くなりました)
因みに、不自由と感じない生活に戻ったのは、受診してから1年半後でした。

今は、大学も卒業し、社会に出て働いています。

私が社会不安障害を回復できたのは、
周囲の人の理解過保護ではない優しさだと思っています。

ちなみに、服薬はその後も頓服薬のみ使用等で5年ほど続けましたが、
今は服薬していません。

自分に対する苛立ちや劣等感から、ますます人目が気になるという悪循環に陥っていたように思います

10代のおわりに、社会不安障害という診断を受けました。

大学入学後間もなかったのですが、当時は通学ができず、
通院して待合室に座っているということ事態が苦痛で、
またそんな自分に対する苛立ち劣等感から
ますます人目が気になるという悪循環に陥っていたように思います。

一人暮らしだったため、ほとんどお医者さまとしか会話しない状態でした。

はじめは投薬と、ほんの少し話を聞いてもらうだけという治療が続きました。
1年ほどそれが続いたと思います。

目覚しい変化というものはありませんでしたが、
不安で恐ろしいなりに、大学へ行ってみようかという気持ちがうまれていました。

お医者さまに励まされたこともあり、通学してすぐ帰ってくる、
という生活を始めました。

その頃もやはり、自分の状況に焦りや苛立ちがありました。

年度がかわり、留年してしまっていた私は年下の人の中で、
また少しずつ通学していました。

顔を出し続けることで話す相手が自然とでき、友人になり、
友人に引っ張られて通学するようになりました。

この頃には少し長くお話できるようになっていたためか、
投薬と平行してカウンセリングも受けることを勧められ、そうしました。

相変わらず怖いことだらけでしたが、
友人にせっつかれて、アルバイトも始めました。

この辺りで、私ははじめて自分の状況を振り返り、
認めてやることができるようになりました。

通院して薬を飲んでも、なかなか効果が実感できないこともあると思います。
風邪薬のようなイメージでいると、焦ってしまうこともあります。

もやが晴れるように、という表現がありますが、
私が社会不安障害の治療を受けている中で感じた回復の仕方は、
海の真ん中から陸を目指しているようなものでした。

はじめは陸が見えず、また近付いても波のせいでまた遠ざかることがあり、
でも気が付けば足の付く浅瀬まで来ているのです。

焦らず、ゆったり構えて自分を眺め、
今できるようになったことを数えるようにしてください。

失敗したらまた帰りが遅くなるという不安が更に増大、悪循環の毎日でした

営業兼技術作業員として5年前から業務委託として仕事をしてきていましたが、
ここ3年くらい経営者が求めていること(主に報連相)ができず、
1年前に発達障害を疑い心療内科を受信しました。

診断結果は発達障害ではないが不安がかなり多いため
コミュニケーションがうまくいかないことがわかりました。

それでもと経営者の意に沿うよう1年間努力してきましたが
状況が更に悪化し仕事をやめることになりました。

経営者には不安障害であることを伝えておりましたが、
なかなか理解していただけず仕事と家庭を両立することが難しかったです。

家庭においては子供のこと、夫のことも仕事優先せざる負えないため疎かになり、
仕事においては家庭の都合は仕事をきちんとできてからという経営者の方針で
(あたりまえではありますが)、特に仕事あっての家庭という経営者の考え方と
生活がマッチしませんでした。

最後の1年間は日付変更線を超える指導もあり、
睡眠時間や家事などをする時間をとることが難しく、
その状態で次の日の仕事を考えていかなければならずまた失敗するのでは、
失敗したらまた帰りが遅くなるという不安が更に増大、悪循環の毎日でした。

経営者と2人だけの事務所であり、私が業務のほとんどを担っていたため、
休むことも許されず、休日もいつお客様から電話がかかってくるかわからない、
という休みでも休むことができない状態を5年間続けてわかったことは、
自分が不安障害でコミュニケーションを取ることが苦手であること、
すべてを自分で担うことができないということでした。

特にコミュニケーションについては、
20年連れ添った夫でもようやくわかったようです。

今は仕事をせず落ち着いて考えるようにし、何かあれば会話が苦手なので
LINEで夫とコミュニケーションを取るようにして生活をしております。

やはり会社勤めは相性が合わないとコミュニケーションが取れなくなるため、
今のところは在宅でできることを検討しています。

不安障害には時間や一手間かけることで
コミュニケーションをスムーズに行うことができると考えますが、
今の社会ではなかなか効率重視で時間をかけることも
普通の人では不要な手間をかけることはなかなか難しいため
自分のペースにマッチした会社や働き方を模索することが大事ではないでしょうか。

本で読んだだけですが、認知行動療法を行うことや意識することで
不安を少しでも取ることが可能である生活を送ることを第一優先にした方が、
悪循環のループから抜け出せるかもしれません。

私も子供が3歳になったときから働き続けて15年、
夫からしばらくゆっくり休みなさいと言われてから肩の荷が下りたような気がします。

まだまだ、他人とのコミュニケーションは難しく
引きこもりのような状態ではありますが、
時間があるので少しずつ前に進んで行こうと思っています。

就職活動をきっかけに調子が悪くなり、病院で不安障害と診断されました

私は23歳の女性です。

自分の精神状態が心配になったのは22歳の5月中旬、
就職活動を始めて半年ほど経ったころです。

内定がゼロだった時なのですが、
その頃から急に泣きたくなったり震えが止まらなくなったり、
動悸がして息苦しくなったりしました。

それで病院に行きましたが、最初から病名がついたわけではありません。

最初は先生に症状を話し、漢方を出されて様子見をしました。
しかしあまり効果がなく、最終的に西洋薬にも手をだすことになりました。

5回目の診察の際、病名があるのか聞いてみたら
不安障害」ではないかと言われました。

その時にどう治療していくのかも話してくれました。

「あまり薬には頼りたくない」「落ち着いてきたら認知行動的療法をしたい」と
言っていました。

またその先生はやれるならやってみようという考えの先生だったので、
アルバイトがしたいという私の意見も尊重してくれましたね。

だけど同時に苦しくてたまらない気持ちを
あまり深くは理解してもらえなかったのではないかという
疑問は常にありました。

私がそれを感じたのは、診察の際にボロ泣きしてしまった時に
「泣いてもどうしようもない」と言われたからです。

その頃から私は病院に行かなくなってしまいました。

元々家から遠い病院だったこともあるのですが、
薬を出されなくなったことから行くのをやめてしまったんです。

今は働くこともせず、
家でゆっくりしたり勉強したりして日々を過ごしています。

薬は飲んでいませんが精神は落ち着いていて、
今では就職活動を再開しようと思えるくらいにまで元気になりました。

ゆっくり休んで、自然と前へ進みたくなる時を待つのが
一番だったのかもしれない、と今では思います。

疑心暗鬼にとらわれると人間不信になり、他のお母さん連中が敵に見えてくる

小学生の子供がいる方なら思い当たることがあるかと思います。
学校の登校班での人間関係に不安を覚えます。

長距離の登校の場合、低学年のうちは通学時に
親が途中までついて行ったりします。

自分の子供だけでなく、他の子供も一緒に安全を確認しつつ、
注意したり、されたりする場面も多くあり、
トラブルを起こすことが多々あります。

子供は基本、自分の親には「良い子でいたい。」という心理がありますので、
小さな嘘を沢山ついたりもします。

それを親が鵜呑みにしてしまって受け止めてしまうと、
他のお母さん連中ともめる原因になりました。

幼稚園までは親が付きっきりでしたので、
親から離れた子供がどんな行動に出るのかは未知数です。

誤解しやすい子供であったり、被害妄想的になってしまう子供もいます。

そこは、親が付いているうちは露見しないことが多いので、
発達に障害があることなども気づかれにくいこともあります。

子供の話す内容と、一部の他のお母さんの話す内容。

どちらを信じて良いのか?親が付いている時には子供は良い子でいたり、
わざとではなくとも安心のために異常行動をとらなかったりします。

自分の子供を信じてあげたい一心で頑なに耳を傾け、
周りが見えなくなってしまうこともありました。親しい方に、
「○○さんが陰口を言っていた。」などありがた迷惑な報告を受け・・・ショック。

悪い噂は、近所の世間話にもされたり。「人のうわさも75日。」とあきらめて、
受け流すのもつらく、相談先を間違え空回ってしまったり。

人間不信にならない方がおかしいくらいな時がありました。
相談する先は、信頼できる擁護の先生などが良かったと思います。

担任の先生も、ごく限られた学校に1人居るくらいの
金八先生位なら良いかもしれませんが、
担任の先生などは本当に頼りになりませんでした。

とにかく、問題さえ解決してしまった後は、
噂に関しては時間が解決してくれるまで、社会生活を営みつつも、
(私の場合はTVドラマの刑事物とかを観て)現実逃避しつつ
時が過ぎるて人の記憶や自分の記憶が薄らいでいくのを待つばかり
という解決方法でした。

疑心暗鬼にならずに、強い心で粘り強く生きていくしかないと思いました。
とにかく、考えすぎないことが一番かもしれません。

今まで生きてきたのだから、くぐりぬけられない試練はないと思い、
私も頑張るので、頑張りすぎずに頑張っていきましょう。

ある頃から初対面の人と話す時や人前で字を書く時に、とても緊張するようになりました

私はもともと人と接することが苦手です。
小さな頃から人見知りでした。

しかしそれなりに仲良くできる友達はおり、
特に問題はありませんでした。

ところがある頃から、初対面の人やたまにしか合わないような人と話すとき
とても緊張するようになりました。

大人数のなかで話すときも、
人前で字を書くときも緊張して手が震えるようになりました。

緊張しないように落ち着こうとすればするほど余計に緊張してうまく話せず、
それがまたさらにトラウマとなって「また緊張してうまく話せないのではないか」と、
不安になるという悪循環に陥っていきました。

仕事においては、電話や接客などがうまくできないので
その種の仕事を避けるしかありませんでした。

友達との付き合いでも、気が許せる友達としか会わなくなりました。
本当はそんな理由で職種を制約したくないし、もっと友達と仲良くしたいです。

コミュニケーションをうまくとっていきたいです。
インターネットで私の症状を調べると社会不安障害なのではと考えました。

いろいろと調べてみると、心療内科に通い、
薬を服用して治すという意見が多かったので、
それで克服できるならと心療内科に通ってみることにしました。

やはりそこでの診断は「社会不安障害」で、
しばらく薬を飲みながら様子を見ていきましょうと言われました。

しばらく薬の服用を続け、なんとなく薬が効いているような気もしましたが、
なんとなくしかわかりませんでした。

医者にも「もう大丈夫でしょう」と言われ、ひとまず治療を終了しました。

その後、初対面の人と話す機会がありましたが、やはり緊張しました。
以前とあまり変わらないぐらいです。

もうどうしていいのかわからなくなりました。
だけど、私は人とうまくコミュニケーションがとれるようになりたいんです。

あらゆることに自信がないから不安になるんだろうと思い、
自信が持てるように頑張ろうと決意しました。

自信が持てるものがあれば少しくらい緊張したって大丈夫、
人前で緊張しない人の方が逆に少ないと思うようにしました。

今はできるだけネガティブな発想をしないよう、
頭の中をポジティブな考えで満たすようにしています。

気のせいかもしれませんが、
少しずつ、人と合ってもあまり緊張しなくなってきたような気がします。

このまま克服できたらと思うばかりです。