教授」とあるように、大学時代から院へ上がったときのこと。
今まで温厚だと思っていた教授が、急に人格否定をしてきて、
そのショックから「適応障害」になりました。

今はもう回復しており、いやな過去だった、程度です。

当時学生だった私は、その日を境に大学へ行けなくなりました。
家族は60近い父親と高卒で社会にでていた妹。母はすでに他界。

大学から実家までは1000km以上離れており、
そう簡単に帰れる場所ではありませんでした。

しかし父親は大学へ行けなくなったこと、
その出来事を涙ながらに連絡した日からすぐに駆けつけてくれました。
(当然1日はかかりましたが)

でもそれが最初の心の安定に繋がったことは間違いないと思います。

その後父とともに大学の相談支援センターへ行きました。
ただそのときはすべてに絶望しており何を相談したか内容もよく覚えていません。

そして大学院を中退することになりました。

流石にもうあの場所にはいけない、
ストレスの源から逃げたほうが生きるうえで必要との判断からです。

実家に帰ってからは病院探しでした。
これは父親が探してくれました。
結果として3つ目の病院が大きなはずれだったと思います。

さて、何がはずれかというと、その先生は「病気ではない」と診断したからです。
3ヶ月程度経っていたときでしょうか。

そのときは正直うれしかったです。
ああ、自分は精神病ではなかったんだ、と。

その後社会に復帰するため資格の勉強をし、
その資格を生かした特殊な仕事にすぐに就くことができました。
(特殊な職業のため伏せますが、いわゆる国家公務員2種のひとつです)

ですが、まだ仕事に就くのは早かったようで、
就いて2週間後、先輩のちょっとした注意が
あのときの記憶をフラッシュバックさせ、涙がとまらなくなり、
夜には過呼吸となり、もう職場に行くことができなくなりました。
あの時耐えられていたなら今頃こんなことを書いていないでしょう。

さて再び実家に戻り、2、3違う病院を経て、
今度はまともな精神病院に入ることができました。
結果、ここの先生に救われることになります。

当時で覚えていることは「焦らなくていい」ということだけですが、
それが一番大切だと思います。

半年程度通院し、先生の勧めで1ヶ月入院し、
その後通院しながらその病院が経営する授産施設で2年近く働きました。
この2年の間に自信を取り戻すことが出来たと思っています。

失われた貴重な時期の3年間とは思いますが、
結果として精神的に成長できたのかな、と思います。

もちろんその間何も考えずに行動していたわけではありません。
焦りもありました。就職はどうすればいいのかという迷いや不安もありました。

ただ、こればかりは時間をかけなければならないと思いますし、
焦って就職した結果2週間で退職という出戻りも食らいました。

精神的な成長とは、その間に出会った思考があります。
それはブッダの思考でした

(宗教ではなく、あくまでブッダ本人の教え。
この回復期は宗教に嵌りやすい時期だから気をつけなさいと
先生に忠告されたので、特に注意しました。)

病院の先生の言葉を聴き、それを咀嚼し理解し、
そして授産施設で行動に移してみることも大切な時期だったと思います。

今ではもう怒られたり注意されることで
フラッシュバックすることはなくなりました。

たまにこう思い出しては、精神的に成長したなぁと思えるようになりました。

ちなみに薬は5年たった今でも、
飲んではいますがそろそろ止め時だと先生がおっしゃっていました。

逆に言えば5年経てば解決する病気、ということです。
この5年は、長いようであっという間だったような気がします。
焦らないことが一番です。

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